パレスチナ分割案
1947年2月29日に国連総会でパレスチナ分割案が決議される。
イギリスの委任統治領であるパレスチナを
・ユダヤ人国家
・アラブ人国家
・国際管理地区
の3つに分けるというものである。
ユダヤ人国家に与えられた土地は全体の57%。
ユダヤ人の人口が住民の三分の一であるにもかかわらず
不公平な分割案であった。
しかも、ユダヤ人国家とされた地域でさえも
アラブ人の人口の方が多少多かった。
シオニスト軍は
1984年4月に国連分割案でユダヤ人国家として
割り当てられた地域を制圧し、その上、決議そのものを形骸化し
その支配地域を拡大する為に「ダーレット計画」といわれる
アラブ人一掃作戦を開始した。
この作戦により、パレスチナの難民化が始まりました。
イスラエルの独立宣言の翌日に
パレスチナ人の追放によって建国されたイスラエルの独立を
認めないアラブ諸国(エジプト・シリア・ヨルダン・レバノン・イラク)
連合軍がパレスチナに浸攻し、
第一次中東戦争が勃発した。
それ以降アラブ諸国とイスラエルの間で三回にわたり、
大規模な戦争が発生する。
1949年に休戦協定が結ばれ
イスラエルはアラブ人国家の領域と指定されたガリラヤ地方を含む
パレスチナの77%を占領した。
組織的に行われた追放作戦によって、故郷を追われ難民となった
パレスチナ人は、当事のパレスチナのアラブ人口約130万人の内
80万人以上に及びました。
1950年国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が
設置され、国連のパレスチナ難民キャンプが
ヨルダン川西地区、ガザ回廊及び周辺のアラブ諸国家に
出来上がりました。